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宮崎地方裁判所 平成9年(ワ)680号 判決 1999年9月20日

原告 串間市原発阻止JA青年部連絡協議会

右代表者会長 山下芳数

右訴訟代理人弁護士 前田裕司

織戸良寛

被告 山下茂

右訴訟代理人弁護士 小城和男

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金七五〇万円及びこれに対する平成一〇年一月一四日(本件訴状送達日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告が原告に対して、串間市長選挙(平成八年一一月一七日実施。以下「本件選挙」という。)に立候補するにあたり原告との間で締結した契約又は条理により、右選挙当選後一年以内に「串間市における原子力発電所の設置に対する賛否についての市民による投票」(以下「市民投票」という。)を実施する義務を負っていたにもかかわらず、右選挙当選後一年が経過しても右義務を履行しなかったとして、原告が被告に対し、主位的に債務不履行、予備的に不法行為に基づき損害賠償を請求した事案である。

一  認定事実(争いのない事実の外、《証拠省略》により認められる事実)

1  原告は、平成六年二月一日、九州電力株式会社(以下「九州電力」という。)の宮崎県串間市における原子力発電所設置を阻止するための運動を行うことを目的として、同市農業協同組合及び同市大束農業協同組合の各青年部組合員有志らで結成された法人格なき社団(会員数約一五〇名)である。

2  「串間市における原子力発電所設置についての市民投票に関する条例」(平成七年一〇月二日条例第二六号による改正後のもの。以下「本件条例」という。)により、市民投票は、次のいずれかに該当するときに実施し、市長が執行するものとされている(第三条、第四条)。

(一) 電気事業法(昭和三九年法律第一七〇号)第二条第六項に規定する電気事業者から串間市に対し、原子力発電所の設置に係る建設同意の申請があったとき。

(二) 市長が、市民投票を実施する必要があると認めたとき。

3  被告は、平成八年九月ころ、本件選挙において原告の選挙協力を得るために、原告に対し、本件選挙に当選後一年以内の出来る限り早い時点で市民投票を実施することを約束し(以下「本件約束」という。)、別紙一の誓約書(以下「本件誓約書」という。)を交付した。

4  被告は、平成八年一一月一七日、本件選挙に当選し、現在、串間市長の職にある。

5  平成八年一二月二六日、串間市議会において、市民投票準備委員会の運営費に関する補正予算案が可決され、平成九年二月四日、同委員会が発足した。そして、平成九年三月定例市議会において、市民投票に関する予算案(約一六〇〇万円)が提案された。

6  九州電力は、平成九年三月一一日、串間市長に対し、串間市において原子力発電所を設置する計画を白紙に戻して、再検討することを表明し、同月二五日、九州電力副社長鎌田迪貞は、宮崎県庁での記者会見において、右表明が計画断念を意味することを認めた。

7  平成九年三月定例市議会の最終日である同月二一日、平成九年度一般会計予算のうち、市民投票に関する予算を予備費に組み替える修正案が議員提案され、可決された。

8  串間市長は、九州電力が串間市への原子力発電所設置を断念したと判断し、串間市に原子力発電所を設置させないという目的を達成したとして、右修正可決された平成九年度当初予算については、再議に付さないこととした。

9  市民投票は、本件選挙に被告が当選して一年が経過した後も、実施されていない。

二  争点

1  債務不履行の成否

(原告の主張)

(一) 本件約束は、原告が本件選挙において被告に選挙協力すること、被告が当選した場合に、当選後一年以内の出来る限り早い時点で、本件条例に基づき、市民投票を実施することを内容とする私法上の(双務)契約である。そして、右契約においては、九州電力が串間立地断念を表明した場合でも、市民投票を実施することとされた。なお、右契約の原告の相手方は、串間市長ではなく、被告個人である。被告が債務を履行しない場合には、市長の立場で政治的、行政的責任が問われることは当然として、私人としては、契約の相手方に対する債務不履行責任を免れない。

(二) 九州電力は、串間市における原子力発電所設置を断念する旨を公式表明したことはなく、仮に右のとおり断念する旨が表明されたとしても、本件条例は、九州電力の意向に係わらず、市長の判断により市民投票を実施することができることとされているから、市民投票実施は本件条例に違反しない。

(被告の主張)

(一) 本件約束は、当選後一年以内に市民投票を実施するという被告の選挙公約(立候補者が、当選した場合に執り行う市政や政治理念の表明をし、その実行を公衆に約束すること)の実行を約束したものであり、私法上の契約ではない。本件誓約書は、右公約の確認書にすぎない。なお、被告は、右公約を実現するために、市民投票実施のための準備委員会を設置するとともに、平成九年三月定例市議会において、市民投票関連予算案を提案したが、市議会によって右予算を予備費に組み替える形で修正可決されたのであるから、市民投票を実施することはできないし、また、実施すべきではない。

(二) 右公約は、九州電力の原子力発電所設置の動きを前提としており、九州電力が串間市への原子力発電所立地計画を断念した以上は、市民投票の必要性は消滅し、本件条例上も市民投票の実施は許されない。それにもかかわらず、原告主張のとおり、本件約束が市民投票実施を義務づけることを内容とする契約であるとすれば、右契約は、違法かつ不当な行為を義務づけるものであるから、公序良俗に反し、無効である。また、仮に、本件約束が契約であるとしても、市長と分離された個人には、市民投票を実施する権限はないから、不能を内容とする契約であり、無効である。

2  不法行為の成否

(原告の主張)

原告は、被告が厳しい選挙状況の中で、原告に対し、本件約束をしたことにより、全面的に被告を支援し、被告の当選を実現させたのであり、原告と被告は、原告が被告に対し市民投票実施を期待しうる特別の法律関係に入ったというべきである。

したがって、被告は、条理上、原告に対し、市民投票を実施する義務を負っており、故意又は過失により市長として市民投票を実施しないことは、原告に対する不作為による不法行為となる。

(被告の主張)

争う。原告の右主張はその法的根拠が不明である。

3  損害賠償の範囲

(原告の主張)

原告は、被告が本件選挙に当選したことから、市民投票が実施されることを前提に、反原発運動をしている一四団体と協力して、串間市西浜一丁目五―六に串間反原発住民投票対策本部を設置し、別紙二記載のとおりの諸作業を行うとともに、市民投票に向けて市民に対する宣伝活動を行い、一万人を超える署名や七〇〇万円を超えるカンパを集めた。したがって、原告は、市民投票が実施されないことにより、提供した多大の資金と労力が無に帰したとともに、市民に対する社会的信用も失い、そのため被った無形的損害は、七五〇万円を下らない。

(被告の主張)

原発立地に反対する一四団体で串間反原発住民投票対策本部が設置されたこと、及び原告が本件選挙において被告を支援したことは認め、串間反原発住民投票対策本部の設置並びに原告が主張する右諸作業、宣伝活動、署名活動及びカンパ等と本件約束との関連性については否認し、その余の事実は知らない。

第三争点に対する判断

一  争点1(債務不履行)について

原告は、本件約束が私法上の契約の性格を有すると主張するので、検討する。

本件約束は、前記第二の一3で認定したとおり、被告が、本件選挙に当選後、串間市長として市民投票を実施することを内容とするものであるから、串間市長という公人としての立場を離れた個人に対し、その履行を求めることができないことはその内容自体からみて明らかであり、また、その履行を求めても意味のないことである。したがって、本件約束は、その性質上、市長候補者ないし市長としての本件選挙における公約の性格しか有しないものと解するべきであり、私法上の契約の性格を有するものではないといわなければならない。

このことは、本件約束が本件誓約書を交付してなされていることや、《証拠省略》により認められる右交付の経緯に照らしても、何ら左右されない。

二  争点2(不法行為)について

原告は、条理上、被告が原告に対し市民投票を実施する義務を負い、その義務違反につき不作為による不法行為となる旨主張する。しかし、原告の主張自体、右義務についての法的根拠が明確でなく、被告に対して、私人としての不法行為責任を問うものか、市長としての公務員個人の不法行為責任を問うものかも必ずしも明らかではない。

そして、私人としての不法行為責任については、原告が、その主張するとおり、本件約束の履行を信じて、被告の選挙運動を全面的に支援し、被告の当選に貢献したことにより、事実上、串間市長としての被告に対し、市民投票実施を期待しうる立場にあるとしても、右一で述べたのと同様の理由により、串間市長の立場を離れた私人としての被告に対し、市民投票実施を期待しうるものではないから、私人としての被告が、条理上、原告に対して市民投票を実施する義務を負うことはあり得ないといわなければならない。

また、被告の串間市長としての公務員個人の不法行為責任については、公共団体の公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うにつき、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたとしても、公共団体がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人はその責任を負わないと解するのが相当である。

三  右一、二の結論に反する原告の主張は、いずれも独自の見解であり、採用できない。そうすると、被告は、市民投票を実施しなかった場合、串間市長の立場において政治的・道義的責任を負うかどうかは別論として、原告の主張する債務不履行責任ないし不法行為責任を負うことはない。

四  よって、その余の点を判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安藤裕子 裁判官 前田郁勝 菊井一夫)

<以下省略>

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